私の「幸福論」
(悲しいニュースを受けて思うこともあり)
女性たちに
ちょっとしたキッカケで
人生が良き方にいくように、
と願い
フラメンコを教えたり
踊る機会を提供する
活動をしています。
しょっとしたキッカケ=フラメンコ
ということで
私はやっているけれど
フラメンコでなくても
いいと
もちろん思う。
習字を始めたり
絵手紙始めたり。
そんな文化活動の場合もあれば。
ボランティア活動かもしれないし。
それは
個々のお好みで
心惹かれる何かなんだろう、
キッカケは。
もしかして
一冊の本をキッカケに
パラダイムシフトするかもしれない。
コロナで命を落とされた方もいる中で
最近は
ショッキングなニュースもありましたね。
光り輝いてみえていた方が
突然に
この世からいなくなるって
衝撃です。
私も、アナタも
いつなにが起きるかわからない、といえば
わからない。
そんなご時世でもある。
<何がシアワセかわからない>
確かにそうかもしれないね。
私には
シアワセを
感じられる時って
こういう時だ、
という
定義がある。
<シアワセは伸び率>
昨日より今日、
今日より明日
すこしづつ良くなっていくことが
1番シアワセを感じるのではないか、
と思う。
ツライ、不幸と感じやすいとすれば
転落していくことかな、と思う。
生まれついて恵まれた環境にいる人が
成長するにつれて失われていくとしたら、、、
失われていく、と感じたら
不幸だろう、と思う。
その理論で行くと
カラダは老化・劣化していくので
若さが1番の富だという価値観でいると
どんどん不幸になっていくだろうね。
あと
シアワセというのは
瞬間のように思う。
圧倒的にシアワセな瞬間、というのが
誰しもあるのかもしれない。
おそらく子ども時代。
100%自分が
親から
愛情を注がれている時間があったならば。
この瞬間の記憶が強烈に一秒でもあれば
生きていける、
信じていける、
というような感覚をもてるかもしれないな、と思う。
これは
本当にタカラモノのような時間だから
もしその記憶があって
意識できているのであれば
シアワセを感じやすい体質かもしれません。
私は子ども時代に
ワンシーンだけ
「これは最高にシアワセの瞬間だな」というシーンの記憶がある。
なぜそう思ったのかわからない。
いつものよくある
日曜日の朝の記憶・・・
今でも
時々思い出して泣けることがある。
私はいつ死ぬのかわからないけれど
もし
死ぬときに意識があるならば
このワンシーンは思い出すのではないか、と思う。
逆に言うと
そのシアワセの「ワンシーン」を
今も追い求めて
生きている。
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